Evolution and Medicine
Robert L. Perlman
Oxford Univ Pr on Demand,2013
本書はロバート・パールマンによる進化医学にかかる一般向けの解説書である.パールマンは医学博士号も持つ進化医学の研究者で,特にホストパラサイトの共進化,生活史戦略の観点からみた疾病の理解についてリサーチを行っているようだ.本書はネッシーとウィリアムズの革新的な進化医学解説書の後継本とよぶにふさわしいもので,その後20年の進展をふまえたバランスの良い本になっている.
第1章
1990年代にいたるまで進化理論を医学に応用する取り組みはほとんどなかったが,そのような考え方がなかったわけではないことをまず取り上げる.まずダーウィンは若いころ医学教育を受けていたこと,そして彼の進化理論の視野には医学的な問題も含まれていたことを指摘し,痕跡器官や遺伝的変異への興味にはそういう背景もあるのだとコメントしている.確かにダーウィンの遺伝的変異への興味には病気に関するものもあって面白い指摘になっている.またホールデンもパラサイトへの抵抗力が大きな進化要因になると考え,サラセミアや鎌型赤血球症がマラリア耐性にかかるものであることを早くから指摘している.そして20世紀後半には抗生物質耐性菌の問題が広く認知されるようになった.しかしごく最近まで進化理論を医学に応用しようという試みは広がらなかった.パールマンはその理由として医学界が進化理論の進展より遙かに前に確立した学問分野になっており,病気の特定と原因の追究について原理原則が定まっていたこと,進化生物学者が(ごく一部の例外をのぞいて)ヒトをあまり対象にしてこなかったこと,医学と進化生物学では問題の関心が異なっていたことなどをあげている.
医学では患者個人にフォーカスが向き,進化生物学では個体群が考察対象になる.医学では病気との戦争がメタファーになっているが,進化生物学では経済学的なメタファーが主流だ.医学では厳密に統制された操作実験が実証のベースになるが,進化生物学では数理的モデルが基本になることが多い.医学では健康,長寿こそ目標になるが,進化生物学ではそれは適応度最大化の副産物だ.医学は至近的メカニズムに関心があり,進化生物学では究極因に関心がある.そして変異について,医学では正常か非正常かの二元的な捉え方になるが,進化生物学では生物集団の基本的な性質として変異の分布を捉える.パールマンはこのような両者の見方は排他的なものではなく相互補完的なものだと強調して進化医学の意義を主張し,最後に患者も自分がなぜ病気にかかったのかの究極因的な理由を知りたがることも付け加えている.このあたりの書きぶりはいかにも生物学,医学両分野に造詣のあるところがでていて味がある.
なおこの導入章では自然淘汰,性淘汰の簡単な解説とともに,「なぜ病気が自然淘汰によってなくなってしまわないか」という問題への説明があり,新奇突然変異,浮動の影響,適応度が高いことと健康や長寿は異なっていること,淘汰の速度が追いつかないことがあること,パラサイト側も進化すること,系統的制約があること,進化産物はトレードオフや妥協の産物であることなどが簡潔に記されている.
第2章は,人口動態とその歴史.
ここでは人口動態や年齢構成の基本,地域別,年齢別の死亡率や死因*1,期待寿命,ヒトの歴史的な人口成長の歴史,その中での様々な疾病の重要度の変遷,(家畜,人口稠密地域,公衆衛生など)文化の影響が説明されている.また経済が発展するにつれて人口増加がストップする現象についての進化的な考察とそれにかかる議論も紹介されている.パールマンは進化環境において形成された進化心理が現代環境にミスマッチになっているためだという説明を主軸においている.
第3章は進化遺伝学.
簡単な初歩の解説の後,遺伝的多型の普遍的存在が強調される.突然変異ではC→Tの生じるメカニズムがかなり詳しく解説され,また浮動も丁寧に説明がある.このほか優性と劣性で淘汰のかかり方が異なること,新奇突然変異と淘汰の平衡,共優性,超優性,遺伝子の重複,多面発現,エピスタシス,連鎖とヒッチハイキング,頻度依存淘汰,エピジェネシス,配偶パターンとハーディワインベルグ平衡,ヒト遺伝子における様々な人口動態の歴史や淘汰の影響などが簡潔に解説されている.いずれも第4章以下の各論で重要になってくるところだ.
第4章からは各論になる.
嚢胞性繊維症.
ここではまず遺伝性の疾病についての概説から始まる.メンデルの法則が再発見されてすぐに劣性遺伝病がいくつか見つかった.当初そのような単一遺伝子による疾病は単純なものだと考えられていたが,実は複雑であることがわかってきた.その代表例が嚢胞性繊維症ということになる.これはヨーロッパ系によく見られる劣性遺伝病で,ヨーロッパ系では3000人に1人程度(遺伝子頻度では1/50程度)みられるものだ.(非ヨーロッパ系では10万人に1人程度と非常にまれだ)患者は上皮組織の塩素イオン輸送に問題を生じ,その結果,呼吸器系,膵臓系の分泌に異常をきたし,呼吸器系に連鎖球菌やブドウ球菌の感染を招き,膵臓障害を引き起こす.期待寿命は40歳ほどで,男性の場合には輸精管異常による不妊も生じる.これはCFTR遺伝子の突然変異による劣性遺伝子によるものであることがわかっている.CFTR遺伝子自体は脊椎動物の進化史のかなり早い時点から存在し,異なった塩分濃度に対応する機能に関連し,通常上皮細胞で発現する.表現型への影響は多様で,塩素イオンの再吸収,ナトリウムの制御,水分の分泌,重炭酸の輸送に関連するとともに一部のバクテリアに対する免疫機能にも関連する.
そしてよく調べていくとこのCFTR遺伝子座には極めて多くの多型があることがわかってきた.これまで1900以上の変異が見つかっている.すべての疾病関連変異アレルの70%は単一のΔF508と呼ばれるアレルで,数種の1~2%程度の頻度のアレルがあり,そしてその他はごくまれだ.この分布も個体群によって異なっている.また同じΔF508ホモ患者でも疾病の表現型には多様性がある.喫煙や感染などの環境要因や別の遺伝子との相互作用により様々であるらしい.
まずなぜΔF508アレルはヨーロッパ系のみで頻度が高いのだろうか.現在の推測ではこのアレルは600世代,15,000年前ごろに生じた変異らしい.そして変異と淘汰のバランスでは説明できないほど頻度が高い.研究者たちは,他の感染症への耐性,喘息の軽減,繁殖効率の上昇などについてヘテロ超優性があったのではないかと考えている.特に呼吸器系への関連から,結核への耐性が疑われている.
M470Vと呼ばれるアレルはヨーロッパとアジア系で頻度が高く,アフリカ系で低い.このアレルは嚢胞性繊維症は引き起こさず,ΔF508アレルと別の何らかの有利性から淘汰で広まった可能性が高い.また多くのまれなアレルは変異と淘汰のバランスと浮動でよく説明できる.
パールマンは単純メンデル遺伝のように見える遺伝病でも実は全然単純ではないと最後に強調している.確かに実状は大変複雑だ.説明を読むとなるほどと納得してしまうが,あまり知られていないことだろう.
第5章は老化と生活史戦略.
ここはパールマン自身のリサーチエリアでもあって力が入っているところの一つだ.まず生活史戦略にかかる進化理論が簡単に解説される.特に,トレードオフ,多面発現遺伝子,環境条件への条件付き戦略の重要性が指摘され,ヒトの生活史の特徴,それぞれのライフステージにおける疾病リスクもあわせて説明されている.その後ウィリアムズやオースタッドたちの様々な老化の進化理論が生活史戦略として理解できることが解説されている*2.パールマン自身は体修復と繁殖のトレードオフを重視する立場のようだ.
ここから老化の至近メカニズムを説明しながら,進化理論を当てはめ,生活史戦略は環境条件付きになりうる*3から環境条件によって異なる老化スピードが発現する可能性*4に注意をすべきだと指摘し,最近の「健康と疾病に関する発達的起源」というリサーチエリアについて紹介している.胎児や幼児の時の環境と,成長した後の環境にミスマッチがあるときのリスクというのは見過ごされがちだが難しい問題のように感じられる.
第6章はガンについて.
最初にガンが治療しにくく,基本的に老化に随伴する*5疾病であること,本来協力的な同一個体内の細胞の一部が協力的でなくなるために生じる現象であることが説明される.このあたりは細胞分裂の制御,エラー修復周りの至近メカニズムが詳しく記述され,遺伝的あるいはエピジェネティックな突然変異によりガンが増殖すること,さらにそれを抑える抑制メカニズムがあることが解説される.ある細胞がガン細胞になるためにはいくつかの突然変異(この中には各種治療に対する耐性に関する突然変異も含まれる)が必要で,しかし特定の必須の変異はないこと,近時の遺伝子解析技術の進展がガン遺伝子の大量分析を可能にし,その結果ガンの遺伝的多型,その系統分岐と収斂の解析を可能にしつつあることなどの記述は興味深い.よくみられるパターンはいくつかのドライバー変異と多くの付随変異というもので,よくみつかるガン化幹細胞の重要性*6が議論されているようだ.また様々な種類のガン細胞が相互作用し,腫瘍のおかれた環境に適応していくという視点もガンの自然史にとって重要だと示唆されている.
ガンは体サイズが大きく比較的長寿である生物群にとって特に問題になりやすく,その意味では脊椎動物は古くからこの問題に直面しており,様々な防衛メカニズムが進化している*7.パールマンはこれによりガンの発生は比較的良く抑えられており,現在の上皮性の発ガンリスクは免疫のための細胞分裂と遺伝子組み換えの有用性とのトレードオフで決まっていると説明している.また発ガンは基本的に細胞分裂速度と変異と修復のバランスの上にあるので,発ガン率に影響を与える環境条件には,分裂促進的なもの(carcinogen)と変異促進的なもの(mutagen)がある. 乳ガンが発生しやすいのはエストロゲンが生理周期に乳房組織細胞の分裂を促進するためだと考えられる.慢性の炎症も同じく細胞分裂を促進するので発ガン率を高める.紫外線や放射線やタバコは突然変異の誘発により発ガン性を持つ.これらとは別のHPVやHBVなどのウィルス起源のガンもある.
パールマンはこれまでのガンの予防は発がん性環境条件の統制に重きが置かれていたが,ガン細胞間の淘汰にも関心が向けられるべきだと主張している.具体的にはガン治療の方法により残存するガン細胞の組成は異なってくる.この意味からは通常の細胞傷害性の化学療法よりも細胞分裂を抑制するサイトスタティックな薬剤療法の方が有望に思われると示唆している.
第7章はホストと病原体パラサイトの共進化.
最初に人体の消化器系や表皮上の常在微生物叢の役割を強調する.彼等は栄養吸収,免疫効果の補強,他の有害微生物の繁殖を防ぐなどの様々な有益な影響を人体に与える.しかし彼等は時に疾病を引き起こす.これは進化生物学的にはホストとパラサイトの共進化系と捉えることができる.この共進化系の特徴は,パラサイト側はパッチ的な環境に住み,時に他ホストに分散しなければならないところだ.パールマンはここからアンダーソンとメイのSIRモデルの考え方を基本再生産数R0を中心に丁寧に解説する.R0はパラサイト側のみで決まるのではなく,ホスト側の個体群の大きさや密度,感染経路の態様によっても決まるところがポイントになる.またモデルから流行性(epidemic)と固有性(endemic)の感染症の振る舞いの差も解説される.そしてSIRモデルを使うことにより毒性,感染性の進化が分析できる.
ここからホスト側パラサイト側それぞれの進化傾向の説明がある.ホスト側は,毒性や感染性を下げようという方向が適応度的に有利になるので,その方向へ進化する.ホスト側の「感染性を低下させる形質」についてはパラサイト側は逆に対抗進化するために,ホスト側に頻度依存淘汰を引き起こしやすい.また行動形質もこれに関連しうる.感染源になりやすいものへの嫌悪感や忌避行動はこれで説明できる.
パラサイト側の進化方向は複雑だ.ホスト内の増殖過程では分裂速度を上げる方向が有利になるのでよりホストを利用しようとして副産物的に毒性が上がる方向に淘汰圧がある,これはホスト側の免疫反応への強い対抗進化を産む.生得的免疫に対して弱いパラサイトは増殖過程をすぐに切り上げて感染率をあげる性質を持ち2~3日程度の軽い症状のみになる.ここをかいくぐることができ獲得免疫が問題になるパラサイトは2~4週間の潜伏,増殖期を持ち,獲得免疫もかいくぐれるパラサイトはしばしば慢性的な疾病を引き起こす.パラサイト側から見て増殖と感染はホスト内競争とホスト間競争のトレードオフの関係にあり,それによりホスト側の対応や感染経路特有の生活史戦略が進化する.基本的には増殖に有利な形質と感染に有利な形質は異なってトレードオフになるが,病態が重い方が感染に有利であれば毒性が高まる方向に進化しやすい.これは中間宿主が感染を広げる場合や生活排水から感染が生じる場合に起こりやすい.
ここで具体例として有名なオーストラリアの外来ウサギへの天敵として導入されたミクソーマウィルスの動態が取り上げられている.導入直後2週間以内で99%以上の致死性だったウィルスは,より毒性の弱い系統が現れて広がり,数年後の致死率は75~90%,その場合の生存期間2.5週~4週間となり,その後安定している.確かに当初より毒性は弱くなっているがなお強い毒性だと評価できる.このウィルスは表皮上に腫瘍を創り出し,昆虫が感染を媒介する.感染率は腫瘍上のウィルス密度と感染期間にも依存する.毒性の弱いウィルスはウィルス密度があまり高くならず感染率において不利になるし,非常に強いウィルスはホストの生存期間が短いために不利になる.このため中間程度の毒性が最大R0を持つようになるのだと考えられる.またウサギ側の耐性進化があまり進まないのはヨーロッパから移入されたときの遺伝子多様性が低いことにもよるのではないかと推測される.
このあたりの「『感染症は進化的にいずれ弱毒化する』という認識は誤解である」ということは進化医学の初期から強調されてきたところだが,パールマンは数理モデルを引きながら,具体例も出して説明していてわかりやすい.
ここからより各論的な解説がある.それぞれ具体的な問題を扱っていて興味深いところだ.
実際のホストパラサイト共進化系は様々な複雑な環境条件の下にある.例えば本来想定されていないホストへの感染も生じる.破傷風の強毒性は,トレードオフの結果ではなく,土壌性のバクテリアである破傷風菌が近くの土壌生物を殺すために生産している毒が本来的なホストではないヒトに作用するために生じる副産物として理解できる.
新奇感染症には同じ側面がある.ライム病はヒトがネズミやシカのいる場所に侵入していったことによってヒトにも感染するようになった.ヒトへの毒性は,ヒトがネズミやシカと同じような生理機構を持つことによる副産物として理解すべきものになる.
別の毒性進化の要因もある.ある特定臓器の機能を抑制することにより感染率が上がる場合には,その毒性は強化される.狂犬病は中枢神経を侵すことにより攻撃性が増し,それにより感染率が上がる.(これはホスト操作としても知られるものだが,パールマンはその視点からは解説していない)
デッドエンド進化として知られる現象も生じる.ポリオウィルスの強毒性はその一例だ.ポリオウィルスは腸内で増殖し,大便から経口という経路で感染する.通常このタイプのパラサイトは弱毒性に進化するが,神経系に入り込んだウィルスは神経麻痺,死亡を引き起こす.これは神経系のウィルスには出口がなく,弱毒性への進化が生じえないためだ.これは通常表皮上で繁殖するバクテリアが体内に入ったときなどにも問題になる.
免疫反応により毒性が強化されることもある.連鎖球菌への免疫反応はリューマチ熱や腎炎につながることがある.(これは通常自己免疫疾患として理解されているものだが,パールマンは病原体の毒性の視点から解説している)
ホスト個体群の多様性は毒性進化に複雑性を付加する.子供の感染と大人の感染で重症度が異なるような状態はこれで説明可能だ.通常子供をホストとするパラサイトに大人が感染した場合の症状はある意味副産物ということになる.
バクテリアの抗生物質への耐性が進化的に理解されるものであることは有名だ.MRSAとして知られるブドウ球菌の系統はその良い例だ.もともとこのブドウ球菌はヒトの常在微生物叢を構成するありふれたバクテリアだった.通常は無害,あるいは有益なバクテリアだが,しばしば様々な系統がオポチュニスティックに様々な器官に取りついて炎症を引き起こす.1959年に抗生物質メチシリンが実用化され,その2年後にはメチシリン耐性のMRSAが発見された.この耐性遺伝子mecAは病院環境への適応として獲得されたもので,別のブドウ球菌から水平伝播したものとして知られる.一旦重症化した患者はより多く医療行為を受けるために,重症化をもたらす耐性菌は医療従事者を媒介者とした感染において有利になり強毒性に進化したと考えられる.強毒性への進化を止めるには医療従事者の手洗いの推奨などにより耐性系統株のR0を下げることが有効だと考えられる.
以上のようにMRSAは病院内環境に適応した系統なので,病院外では広がらないと考えられてきたが,実際には通常環境でも広がってきている.通常環境への適応が生じたものだと思われるが,何故それほどペニシリン系の抗生物質がない通常環境でも広がるのかの詳細はわかっていない.皮膚感染効率が上がっていて,衛生状態の悪い地域でより広がっているという報告がある.ここでも感染経路へ介入してR0を下げる工夫が重要になる.
パールマンは最後に感染症の症状をホスト側の適応産物,パラサイト側の適応産物,副産物に分けて考えることの重要性についてコメントしている.熱がホスト適応産物だという主張は進化医学初期から見られるものだが,ここではそのメカニズム(生得免疫によるサイトキンの放出)からも補強しているのが特徴だ.
第8章は性感染症.
最初に有性生殖の進化的な議論の話題を振り,ハミルトンがそれを対パラサイト戦略として説明したことから考えると,生殖行為自体が新しい感染症の感染ルートになったのは皮肉だ*8とコメントしている.
生物界をみると,植物には黒穂病やさび病といった受粉時に感染するパラサイトが存在する.魚類や両生類などの体外受精する脊椎動物には性感染症は少なくて,体内受精する哺乳類や鳥類には多い.ヒトにも数十の性感染症があることが知られている.
パールマンは性感染症はいくつかの点でほかの感染症と異なると指摘する.
感染リスクが生じるのは性行為のパートナーのみであり,通常同一パートナーと繰り返し性行為を行うので,SIRモデルで問題になる感染率は性行為あたりではなくパートナーあたりになる.
パラサイトからみて感染が広がるには,感染者は性行為を行える程度に健康でなければならないため,免疫をかいくぐることが必要で,感染可能な潜伏期間,あるいは弱毒性の期間が長い性質が進化しやすい.
その結果慢性病になりやすく,ホスト内淘汰が重要になる.デッドエンドの器官に入り込むことも生じやすい.このため最終的には強毒性になることがある.
しばしば複数の性感染症に同時に感染する.
パラサイトからみてホストを不妊にすることが(性交回数を増やして)感染上有利になりうる.そして実際にしばしば不妊を引き起こす.
(性行為はほとんど同種内で行われるため)ホスト転換が生じにくい.多くは他動物から別の経路でヒトに感染し,その後性感染症に進化したのではないかと思われる.
次にパールマンはいくつかの進化的な問題を議論する.
哺乳類のメスの生殖器には対性感染症のいくつかの適応がみられる.強い酸性で炎症細胞や抗体を含む分泌液のほか,微生物叢や樹枝状細胞も感染を低下させる機能を持つ.
行動免疫もある.多くの哺乳類は特定の期間しか交尾しない.ヒトはこの点特異で,より性感染症に弱くなっている.あるいは一夫多妻傾向が弱いことや文化的な純血主義もこのような淘汰圧が影響を与えている可能性がある.
ヒトの場合,性交に関して大きな個人差がある.現在都市部の一部のヒトの間で特に性交頻度,パートナーの数が多く,多くの性感染症でR0は都市部のコアグループで1より大きく,それ以外で1より小さくなっていると思われる.
一部の性感染症パラサイトは生殖系列に入り込んで垂直感染を生じさせる.ヒトゲノムには多くのレトロウィルスの痕跡が残っている.ホストの免疫を逃れるための適応が胎盤を通過するような機能を持たせる場合もある.出産時に生殖器エリアで新生児に感染を生じさせることもある.垂直感染が主体になると弱毒化が期待できる(多くのレトロウィルスの場合)が,多くの場合に水平感染するが時に垂直感染が生じる場合には,デッドエンド型と同じで垂直感染による弱毒化は期待できない.
<梅毒>
イタリアで爆発的に流行したのは15世紀の末で,フランス軍かスペイン軍の兵士から広まったとされる.兵士と売春婦のパートナーの多い性交が爆発的な流行を説明する.当時の記録では非常に致死的な病気だったが,その後弱毒化したようだ.おそらく感染率を上げる方向のパラサイト進化が弱毒化を進めたのだろう.新世界起源だとよく言われるが,その証拠はほとんどない.
この病原スピロヘータはイチゴ腫を作るものと近縁で,おそらく皮膚接触感染症だったものが性感染症に進化したのだろう.
感染後初期症状が2ステージ,それぞれ数週間,1年程度あり,その後20~30年の長い潜伏期間に入り,感染を生じさせる.その後腫瘍や麻痺が生じる.この最後の段階は様々な器官に入り込んだスピロヘータの引き起こすデッドエンド型の強毒化だと理解できる.
ヒトの獲得免疫を避ける様々な適応がみられる.表面タンパク質が少なく細胞表面に抗原をほとんど持たない.わずかにある抗原も組み替えによりどんどん変化する.なおこの性質が原因で抗生物質耐性進化は難しくなっており,ペニシリン耐性はまだ進化していない.
当時のヨーロッパに純血と単婚についての文化的な影響を与えたのではないかと思われる.
<HIV>
起源はチンパンジーのSIVだと思われる.ヒトへの感染は独立に何度か生じたようだ.感染の主要系統については,当初は医療行為による注射針経由の感染が主体で,数十年のうちに性感染症に進化したと思われる.
1980年の最初の記載以降明らかに強毒化が進行している.解釈は難しいが,薬物中毒者の注射針経由感染が強毒化に関与しているようだ.
HIVはレトロウィルスで変異率が高く,感染した個体の病状の進行の中で,ウィルスのホスト内競争が重要な影響を与える.(ここではかなり詳しくそのメカニズムとステージごとの動態が解説されている)
HIV耐性の遺伝子が確認されているが,頻度や地理分布はそれは対HIVの対抗進化で広がったものではないことを示している.なぜある程度の頻度で耐性遺伝子があるのかは謎だ.
第9章はマラリア.
マラリアは進化史において人類に大きな影響を与えてきた.現在マラリア原虫は5種,媒介する蚊は数十種類あり,その自然史は複雑だ.
原虫は哺乳類ホスト体内で無性生殖,媒介節足動物内で有性生殖を行う.無性増殖中に赤血球溶解を引き起こし,これが症状の原因になる.(ここでも原虫の生活史が詳しく解説されている*9)
哺乳類ホストの状態により有性生殖のための配偶子生産に回すリソース比を調整する.状態がよいときには無性増殖に多くを回し,状態が悪くなると(あるいは免疫や医療行為により原虫密度が下がると)配偶子生産比率を上げる.
マラリアの主症状(発熱,引きつけ,昏睡)は周期的に生じる.これは明らかにホスト側の適応ではなく原虫側の適応産物(ホスト生理機能の操作)だと考えられる(多くの熱病の発熱がホスト側の適応であるのと異なる).媒介されやすいように特定の時刻に原虫血中密度が高くなるように周期的な赤血球溶解が生じるとして説明できる.
ヒト側に免疫は生じるが,完全にはほど遠い.原虫側には見事な対免疫の適応がある.多くの時期を赤血球に潜り込んで過ごし,表面の抗原は発現遺伝子を交代させてどんどん変化させる.
R0への要因は中間媒介があるために複雑なものになる.ヒト側の要因より蚊の要因の方が大きく効く傾向にある.
強毒性は,免疫を逃れて長期間感染するためにホスト内での競争が重要になること,発熱を伴う周期的症状が感染率を上げる効果があることから説明できる.ただホストの死亡は原虫の利益にならないので副産物だと考えてよいだろう.蚊に対しては,元気で飛んでもらわなくてはならないのでほとんど症状をもたらさない.このため蚊の体内ではあまり増殖せず,有性生殖を行うようになっている.
マラリア原虫はおそらく節足動物の腸内寄生原虫から進化したものだと思われる.この節足動物が吸血性を持つようになり,最終ホストとして哺乳類に寄生できるようになったのだろう.ヒトマラリアはチンパンジーやゴリラのマラリアと近縁だが,分岐年代は若く,ホスト転換の結果ヒトに感染するようになったものだと思われる.ヒトは分岐後一旦チンパンジーマラリアに感染しにくくなるような突然変異を持つようになったが,その後水平感染してきたマラリアがそれへの対抗進化を引き起こしたと思われる分子的な証拠がある.
熱帯マラリアは,農業以降にできた環境で,ヒトを好むハマダラカが増えたことによって重要な感染症になったのだろう.
ヒトにおけるマラリア耐性を持つ疾病性突然変異としてはサラセミアと鎌型赤血球症が有名だ.なぜ異なる地域で異なる突然変異が広がっているのかは,歴史的偶然と,両突然変異の共存が不利になることから説明できると思われる.
ヒトにおけるMHCの多型の進行はマラリアの影響を受けている可能性がある.
パールマンはマラリア対策はなお人類の課題にとどまり続けており,進化的な視点を取り入れることも重要だとコメントして本章を終えている.
第10章は感染症から離れて文化と遺伝子の共進化.
文化と遺伝子の共進化,ニッチ構築について簡単な導入を行った後に,酪農文化と乳糖耐性の進化をメカニズム的な説明を含めてかなり詳しく解説している.
ここで面白いのは,そもそもなぜ哺乳類において乳糖消化が離乳期以降できなくなる(ラクターゼ制限)ように進化したのかという問題だ.代謝的にコストがかかるとは思われず,パールマンは「離乳を促す」事が有利だったので適応として進化したのではないかいう仮説を支持している.そしてヒトにおいては共同保育等によって離乳が早まり,このラクターゼ制限は適応的なメリットを失い,酪農文化とともに失われる方向に進化したのだと説明している.乳糖耐性自体はあまり医学的に重要だとも思えないが,パールマンにとっては議論するにたる面白い問題だという事なのだろう.なかなか読ませる章になっている.
第11章は肥満等の生活習慣病について.
パールマンは章題を「Man-made diseases(人の作りし病)」とおいている.EEAを簡単に解説し,適応と環境のミスマッチから問題が生じることを説明する.
ここで進化的に問題になるのは,このような生活習慣病へのなりやすさについて非常に幅広い遺伝的な多型があることだ.パールマンは個別の症例ごとに取り扱う.
肥満,糖尿については倹約遺伝子仮説が有名だ.これは広く受け入れられているが,分子的な証拠は少ない.EEAにおける食事内容は様々だったと考えられ,それが多型を説明するのかもしれない.結局現在のところ「多様な食事をとり,食べ過ぎず,適度の運動せよ」に勝るアドバイスはないようだ.
塩分取得と高血圧には明らかな相関がある.サバンナでのEEAから考えて,私たちに塩分についての倹約遺伝傾向があるのは間違いない.塩分と血圧調整に関する遺伝子は非常に多く,様々な変異があり,塩分取得に対する血圧上昇にも耐性があるヒトもいる.またEEAではナトリウムだけではなくカリウムも重要だったと思われる.
アレルギー発生率は先進国で高い.これについては衛生仮説が豊富な疫学的,実験的,症例的証拠で支持されている.ヒトは腸内寄生虫との長い共生関係の結果,アームレース的な共進化を経験し,腸内寄生虫が免疫抑制を行うことを前提とした(腸内寄生虫がいない場合には過敏になる)免疫機構を持つようになっていると考えられる.腸内寄生虫の免疫抑制機能に似せた薬剤が開発されれば効果的である可能性がある.なお腸内寄生虫以外にも免疫に関する要因は多いので実態はより複雑だと思われる.
格差社会と健康の格差:多くの国で,貧しい人々がより不健康で期待余命が短いという現象が観察されている.不健康なために貧しくなるという因果もあり得るが,それだけでは説明できない.これはヒトの生活史戦略が,「条件が悪い場合により早めに生存から繁殖へのリソース配分*10を増やす」ように条件依存的に調節されるために生じている可能性がある.
最後にパールマンはこのような問題については個別患者への対処というより個体群全体をみて予防するという進化生物学的な視点の方が向いているとコメントしている.
最後の生活史戦略の視点からの指摘はなかなか重い.介入すべきか,すべきとしてどう介入するか,そして基本的に社会としてどう向き合うかは,それぞれなかなか難しい問題のように思われる.
以上,パールマンの解説スコープは広く,様々な医療の絡む問題について進化的な視点を併せ持つとどういう風景が見えるかを解説してくれている.日本でも最近何冊か進化医学の本が出版されているが,いずれも分子進化的な問題が主眼になっており,もう一つの進化医学の主要トピックであるパラサイトとの共進化の問題はあまり取り上げられてこなかった.本書はネッシーとウィリアムズの記念碑的な本以降のホストパラサイト共進化を近時の進展とともに深く解説した本として非常に価値があると思う.また生活史戦略的な部分もあわせて.読んでいて大変面白いし,語り口もフラットでわかりやすい.是非邦訳されて多くの医学を志す方々に読まれることを期待したい.
*1:年齢別死亡率はある程度以上の老齢になるとフラットになる.この現象に関する説得的な説明はまだないそうだ.
*2:なおここで鳥やコウモリが体サイズに比して長寿であるのは捕食リスクが小さいために,より繁殖に回すリソースが少なくなるからだと説明されている.これは飛ぶための代謝の必要性から,トレードオフとして本来有利な早い繁殖サイクルができずに長寿になっているというニック・レーンの仮説とは対立するものだ.
*3:パールマンは,条件付き戦略としてみると,経済状況の好転や喫煙率の低下により最近の平均寿命の延びの一部が説明できるとコメントしている.
*4:死亡率予想の上昇が初潮年齢低下と相関していることを指摘し.そのほか様々な条件が関連する可能性があるが複雑で難しいともコメントしている.
*5:なお85歳を超えてからは癌の発生率はむしろ低下する.パールマンはこれについて謎だとしている.
*6:ガン化幹細胞自体の増殖率は低く,このため化学療法に強い.そして腫瘍の中で死んだガン細胞の置きかえに重要で,ガン増殖を支える役割があるようだ
*7:植物も体サイズと寿命の点ではガンが問題になり得るが,細胞壁の存在,循環系があまり発達していないことがガンを大きな問題にしていないと解説されている.なお脊椎動物以外では節足動物と軟体動物にもガンがあるそうだ.
*8:さらに,考えてみると精子は栄養リソースについてはすべて卵子のものに依存しており,最初の性感染パラサイトとみることもできるかもしれないとちょっと茶目っ気のあるコメントも載せている
*9:なお原虫の性投資比についての解説もあるが,LMCにはふれられておらず,やや残念だ.
*10:これには喫煙などのリスク受容性の行動傾向も含まれる